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西洋史学専攻のデザイナー

2016年3月7日 - Other
西洋史学専攻のデザイナー
みなさんこんにちは。プレゼンテーションデザイナーの吉藤です。
今日はちょっと僕自身のバックグラウンドの話をしようと思います。
 

よく、大学は美大とかですか?と聞かれることがあるんですが、ぜんぜん違いまして。
(ちなみに、美大や専門学校出身ではなくても活躍している方なんてすごくたくさんいらっしゃいますので、そもそも職業的なデザイナーと大学や専攻ってあんまり関係ないんですよ。)
 
僕は大学では西洋史学を専攻していました。もちょっと細かく言うと、文学部歴史学科西洋史学専攻。
古代文献を読んで、今から1500年くらい前のヨーロッパの人たちの暮らしを考えてレポートを書いたりしていました。
デザイナーという今の職業とはまったくかけ離れたこの専攻。
そして、現代日本ではまったくもって就職活動に不利なこの出身学部。笑
 
でも、このバックグラウンドと今の仕事は必ずしも断絶したキャリアというわけではないんですよ。改めて考えてみると、つながっている要素がちゃんとあり。
 
ひとつには、様々な分野の知識を得るための調査能力はこのときに訓練された、ということ。
歴史学科というのは、扱う範囲が “歴史” であるというだけで、法律も経済も産業も芸術も、人の生活に関わるどの側面を解き明かしても良い、という学問なので、その気になれば様々な分野に詳しくなることができます。古代の税法と現代日本の税法を比較したり、古代建築から現代の都市計画を読み解いたり、古代の医療水準を理解するために現代の医療論文を読んだり。
 
もちろん、これらは偏った知識であることに変わりはないんですが、本質は調査力と論理的思考です。ありとあらゆる分野のプレゼンテーションをデザインする今の仕事に必要な、「知らない分野の知識を迅速に調査し、論理的に解釈する能力」というのはこのときの膨大な文献との格闘で培われたと思っています。
 
そしてもうひとつには、かなりの言語に触れる機会があったということ。
(どの言語もまったくものにはなっていませんが)英語・フランス語・トルコ語・ドイツ語・イタリア語・ラテン語・古代ギリシア語・アッカド語・シュメール語といった言語を学んだことは、タイポグラフィを体で理解することにつながったと感じています(最後のふたつなんて楔形文字ですからね)。 英語だけしか知らないとタイポグラフィってけっこう上辺だけのものになりがちなんですが(そういう意味では日本語を知っている日本人は有利ではあります)、世界の様々な言語を学ぶことは、「ことば」と「文字」を深く理解し、文字をデザインとして扱うための多角的な視点につながってきます。ついでに言うと、西洋言語に偏っていたことへの反省から最近はバハサ(マレー語)やゾンカ(ブータン語)、タイ語、中国語なども学んでいます。
 
最後のひとつは、西洋人の考え方の根底にあるものを、ある程度は共有できている、ということ。
日本人には理解しづらいキリスト教世界の常識、道徳、そういったものは、結局彼らの数千年の歴史を知っていることで、受け入れやすくなったり反応しやすくなったりするんです。外資系で働いていてアメリカやヨーロッパ出身者とからむことの多い方もいると思いますが、教科書的な「相手の文化を尊重しましょう」だけでは如何ともし難い断絶というのはありますし、ましてやその断絶の上に立って相手を動かすことは難しい。その点で、西洋史学で学んだことが有利に働くということはあります。
 
さて。
今僕は、旧イギリス領であるシンガポールで、西洋人も、東洋人も、日本人もクライアントとして、デザイナーとして仕事をしています。
そして、自分の強みが、「誰よりも絵がうまいこと」 ではないことも知っています。
 
西洋史を学んできた僕が誰にも負けないのは「どのような文化的バックグラウンドを持つ人からの、どの分野のプレゼンテーションであったとしても、それを調査し、そして(時にびっくりするような速さで)誰もが理解しやすい形にビジュアライズする」ということ。僕がWebデザイナーでもUIデザイナーでもなく、プレゼンテーションデザイナーとして仕事をしているのは、こういうわけです。
 
以上が、”西洋史学専攻のデザイナー” のお話でした。
 
 
 
……… 

先の1月に、大学院時代の恩師が亡くなりました。

歴史学は好きだったけれど一等不出来な生徒であった僕に何かと目をかけてくださった恩師でした。
博士課程に進まず野に下る決断をしたとき、ちょっと困ったような顔をされて「もったいない」という言葉をかけていただいたことが、忘れられません。
 
美大でもなく、美術史専攻でもなく、西洋史学専攻というバックグラウンドを持ってデザイナーという仕事をしていることを、僕はこれからも誇りに思い続けると思います。
そして、このバックグラウンドを持つ者にしかできない仕事を、これからも続けていきたいと思っています。
 
亡き恩師と、すべての歴史学徒に捧ぐ。

2016年3月